第25回 加藤眞悟 明之會【能楽観賞日記】#56

第25回 加藤眞悟 明之會
国立能楽堂
2023年5月5日(金・祝) 12:22開演

昨年に引き続き、今年も『加藤眞悟 明之會』を観に国立能楽堂へ行ってきました。演目は野村萬斎さんの狂言「長光」と、加藤先生のお能「芭蕉」でした。

ところで、チラシには開始12:25〜ってなってたのに、いざ会場に着いたら開始が12:22〜になってた。

その3分前倒しは何?😂

加藤先生のご挨拶から始まるんだけど、5分じゃ足りないって思ったのかしら?(この日は萬斎さんがトリプルヘッダーだったので絶対に押すわけにはいかないのであった😅)

加藤先生のご挨拶、昨年同様、見所にてご挨拶。謙虚なのか舞台の上には立たないのね。表きよし氏も見所の端っこから解説していた。前に出るのは恥ずかしいらしいw

加藤先生は、かつて哲学を学んでおり、先生曰く能『芭蕉』は哲学的だということで、今回の選曲にも納得。この数年いろんなことがあったけど、どんな時も最終的に残るのは日本の精神文化なのではないかと。あと毎年空席が目立つ状態だったけど、今年は沢山の人に来てもらえて嬉しい、とか言ってたかな。

脇正面席からの鑑賞でした
狂言「長光」

すっぱ:野村萬斎
田舎者:飯田豪
 目代:野村太一郎
 後見:月崎晴夫

【あらすじ】預かり物の太刀を携え、都へ遣いに出掛けた奉公人(演:飯田豪)。そこへ都のすっぱ(演:野村萬斎)が、その太刀の緒に手を掛けて自分の物だと主張し、だまし取ろうとして争いに。すると目代(演:野村太一郎)が現れ、仲裁に入る。刀の持ち主を確認するためにその特徴を尋ねると、二人ともに同じことをいうのだが…。

*・*・*

以前、式能の時に大蔵流で観た演目。和泉流になっても内容は同じでした。似たような話に『茶壷』(オチ的にはこっちの方が好きかも🤣)がありますね。

大髭を着けたすっぱの萬斎さん、胡散臭くて最高でした🤣
飯田さんの背後に近寄っただけで、滑稽で笑えた🤣

飯田さんも先日の山伏に引き続き、凄い存在感を放ってました👍✨
最近は凄い活躍してるイメージがあります👍✨

ところで、今回「長光」を選曲した理由は何なんだろう?🤔

昨年は、能「求塚」に対して、萬斎さんが選んだのが狂言「鈍太郎」だったので、その共通点にお見事!と思ったんだけど、今年は「芭蕉」に対して「長光」。6月の公演でも「草紙洗小町」に対して「長光」が選曲されている。

能『芭蕉』という演目は、芭蕉は冬には枯れてしまうのだが、昔、唐の皇帝が冬でも芭蕉を眺めていたいからという理由で、画家に芭蕉の葉に雪が積もっている絵(=ありえない、つまり偽りの絵)を描かせた故事を踏まえたものである。また「草紙洗小町」も大伴黒主が万葉集の内容を偽造して小野小町を陥れようとする話だ。よって、テーマとしては『偽り』みたいな所かしら??…と思うのだけれど、どうでしょう?🤔

能「芭蕉」

女/芭蕉ノ精:加藤眞悟
     僧:安田登
  土地の男:高野和憲 

 笛:松田弘之
小鼓:幸信吾
大鼓:亀井広忠
地頭:観世喜正

【あらすじ】僧(ワキ)の前に、女性の姿をした芭蕉葉の精(シテ)が現れ、芭蕉が人生のはかなさを象徴していることを語り、土も草木も“ありのまま”こそが真実の姿だと述べ、静かに舞を舞う。そして秋風に吹かれ女性が消えると、その場には破れた芭蕉だけが残っていたのだった。

*・*・*

配られた解説のプリント読んで、あ、コレ眠くなるやつだ…と思ったら予感的中。うつらうつら…してしまった😅白昼夢を見ているかのような感覚。コレはこれで良いのかもしれないけれど、ワキの視線がコチラを向いている以上、非常に気まずいので私は起きたい(爆

なのでシテを絵の一部にするように、能舞台全体を観る感覚で視野を広げてみる。心の目が三間四方の場の空気を捉えると、私の好きな、日本独自の“静”の世界が見えたきた。シテを観るというよりシテが支配してる場の空気やオーラを見る感覚

すると、シテのスローな舞もちゃんと観ることが出来るようになり、終わる頃には睡魔が消えていた。お能を観ると覚醒する人が居るらしいが、こういう感覚なんだろうか?何はともあれ、この感覚忘れないようにしたい。今回は加藤先生の舞に、お能の本質を教えられた気がする。

にしても、前回の薪能に引き続き、亀井広忠さん(好き)の大鼓が聴けて、更に観世喜正さん(好き)の仕舞に、地頭でも拝見出来て、満足度高い会でした😌(←それでも睡魔に襲われた人🤣)

▼前回の能楽鑑賞日記はコチラ

▼昨年の明之會の感想はコチラ

AD

シェアする