こういうお能が観たかった!【能楽観賞日記】#6

喜多流 5月自主公演
2022年5月22日(日)12:00 開演

喜多流5月自主公演を観に喜多能楽堂に行って来ました。

客席385名という若干小さめな能楽堂ですが、能舞台の床と他を支える木材のコントラストが印象的な綺麗な能舞台でした。あと客席数が少ない分、能舞台が広くみえる気がしました。

■ 喜多能楽堂について
http://kita-noh.com/stage/

座席の詳細を見ると中正面の両端が綺麗に直角になっており、これなら正面席寄りなら正面席に近い感覚で観られるのではないかと思い、今回は中正面の端っこの席で鑑賞することにしました。たまに役者が柱に隠れてしまうことがありますが許容範囲内で、前から3列目が取れたので、なかなかの良席でした。特にお能を観る角度としては丁度良い感じがしました。

能「頼政」

・前シテ 老人/後シテ 頼政の霊:中村邦生
・ワキ 旅僧:宝生欣哉
・アイ 宇治の里人:野村太一郎

【あらすじ】
旅僧(ワキ)が宇治の里に立ち寄ると、一人の老人(前シテ)が現れ、所の名所を教え平等院へ案内する。扇の形に残された芝を見て僧は不思議に思い、老人に尋ねると、老人は源三位頼政が扇を敷いて自害した跡と語り、自分こそその頼政の幽霊であると名乗って消える<中入>。ここで宇治の里人(アイ)が登場し、僧に源頼政の故事を語る。先刻の老人が頼政の霊だと確信した僧は弔いのため、今夜はここに留まることにする。夜になると、在りし日の姿で頼政の霊(後シテ)が現れ、敗戦の様子を物語る。〜中略〜 そして、頼政は扇の芝で自害を遂げた無念を語り、弔いを願って姿を消すのであった(了)

*・*・*

後半の在りし日の姿で現れた頼政の霊が、装束含め、とてもカッコ良くて見入ってしまいました。語ってる時は基本座ってるのですが、それでも存在感が凄かった。能って「羽衣」みたいな女面のイメージが強かったんですけど、男性主人公モノを初めて生で観て、個人的にはこっちの方が好きかもしれないと思いました。

間狂言の太一郎さんは庶民の姿なので装束は太郎冠者の格好でした。間狂言は超長台詞なので大変だよなァと改めて思ったり。。。

狂言「伊文字」

次は、お目当ての狂言「伊文字」です。
シテがお告げの女役と通行人役を兼ねるというちょっと珍しい演目です(お着替えが大変そう💦)

*・*・*

未だ妻を持たぬ主人(演:深田博治)は太郎冠者(演:高野和憲)を連れて、清水の観世音へ妻乞いの祈願へと向かいます。そしてお告げを夢見に得た主人が早速その出逢いとなる場所へ向かうと、一人の女性(前シテ:野村萬斎)の姿が…。主人は太郎冠者に住まいを聞いてこいと命じるのですが、太郎冠者の問いに女は、「恋しくは 問うても来たれ(来ませ) 伊勢の国 伊勢寺本に 住むぞわらわは」と和歌で答えて去って行ってしまう。

橋掛りに現れた女役の萬斎さん。羽織を被ってるためお顔は拝見できませんが、謎めいた雰囲気で出番が短いこともあってか、とても神秘的な女性に見えました。あと太郎冠者に問われた時の女性の型の動きが可愛いかった。そして、去り際にめっちゃ良い声で謡ってくれたのですが、、、

なんと太郎冠者は「恋しくは 問うても来たれ い…」までしか覚えられなかったというのである。

(そして高野太郎冠者の「い」の言い方がちょっとウケていたのである・笑)

「それ以降はグチグチグチグチと…」と、あくまでも女の謡い方が悪いと言わんばかりの太郎冠者(笑)。この歌に頼って女性の居所を探そうにも肝心な下の句が思い出せない太郎冠者は主人に、歌関を設けて通りかかった者に下の句をつけさせ、歌を完成させようと提案をする。

歌関の準備が整うと、急ぎの用で通りかかった使いの者(後シテ:野村萬斎)が登場。後シテの装束はシンプルで、花が描かれた薄緑色の装束が今の季節らしく、また春生まれの萬斎さんに似合っておりとても印象的でした。

急ぎの用があったのに、主人の妻探し騒動に完全に巻き込まれてしまった使いの者(可哀想に・笑)は、最初は無理やり歌関を通ろうとしますが観念して、下の句の「い」で始まる国の名を考えることにします。この時、使いの者は足拍子もリズミカルに舞いながら歌を吟じて行くので、これもまたダンシングが得意な萬斎さんに合った演目だなと感じました。

凄く笑える…って感じではないのだけど、リズムネタが楽しい演目でした。またキレイにまとまって終わるので、この後、このご主人はお告げの女性に無事に逢えたのかなァ?と余韻に浸れる演目でもありました。ただ、女の顔が拝めなかったところが気になりますけどね(狂言的なオチを考えると、ろくなことが起きない気がする・笑)

能「賀茂物狂」

・シテ 女:佐藤寛泰
・ワキ 都の男:舘田善博
・ワキツレ 男の従者:梅村昌功

【あらすじ】
都の男(ワキ)は訳あって東国に下り、ようやく数年振り(今回の解説によると10年振り)に家に帰るが、妻は行方知れずとなってた。折しも賀茂の葵祭りの頃だったので、祈りを捧げるために賀茂社に赴く。一方、妻(シテ)は夫の帰りを待ち焦がれるあまり物狂いになり東国をさまよっていたが、都に戻り葵祭りに惹かれてやってくる。男は狂女が妻とは気づかず、神事だから心を静めることを勧める。狂女は男の勧めのままに神に手向けの舞を舞いつつ、夫を探しに放浪の旅に出たことを語る。やがて二人とも相手が伴侶であることに気づくが人目を憚り口にしない。そして二人は示し合わせたかのように家路に向かい再会を喜び合うのであった(了)

*・*・*

お互いの存在に気づいても、その場では周りを気にして気づかない振りをするのって日本的だなァと思いつつ。シテの舞が優雅で素敵でした。舞台は夫婦が示し合わせたかのように家路に帰るところで終わりますが、この後、家で再会を喜びあったのだろうなァと余韻に浸れるハッピーエンドなお能でした。悲劇が描かれることが多いお能ですが、たまにはこういうお話も良き。

能「船橋」

・前シテ 里男/後シテ 里男の霊:塩津圭介
・ツレ 里女の霊:狩野祐一
・ワキ 山伏:村瀬提
・ワキツレ 同行の山伏:矢野昌平・村瀬慧
・アイ 佐野の里人:野村裕基

【あらすじ】
三熊野の山伏(ワキ)が上野国佐野への山路へ行くと、男(前シテ)と女(ツレ)が現れて橋の建立の勧進をする。山伏は橋建立の謂われを尋ね、また万葉集の歌に「東路の 佐野の船橋 取り放し」と「鳥は無し」があるが、どちらが本説かと尋ねると、男はそれについての言い伝えを語り始める。昔、川を隔てて住む男女がこの船橋を逢瀬の通い路にしていたが、それを良しとしない親が橋の板を外したため、男はそれに気づかず川に落ちて亡くなった。その妄執の罪で地獄に落ち成仏することもなかったと語り、実は我々がその男女の霊であると云い、そして弔いを頼んで姿を消す<中入>。山伏はこの夫婦を不憫に思い、佐野の里人(アイ)にもう一度、佐野の船橋の伝承を尋ね、里人は船橋にまつわる悲恋を語る。山伏が祈祷をしていると、先ほどの男女の霊が現れて、男(後シテ)は地獄の苦しみを見せ、懺悔の為に昔通い慣れた船橋を渡って妻に会いに行く様子を再現し、山伏の法力で成仏が出来たと告げて消えていった(了)

*・*・*

前シテは直面(素顔)で登場しますが、後シテでは地獄の鬼となった姿で登場します。これが「頼政」の時と同様、金色をベースにした優雅な装束と力強い舞いが素晴らしく、こちらも見入ってしまいました。能面は亡霊らしく少し不気味な表情だったりするのですが、それも含めて、ずっと観ていたかったくらいカッコ良かった。鬼だからと言って恐ろしさを全面に出すのではなく、元は人間であるが故の執念を感じました。

あと間狂言の裕基くんも立派に勤め上げており良かったです。声が萬斎さんに似ており、とても聞き取りやすかったです。いつか機会があったら萬斎さんの間狂言も観れたら良いなァと思ってます(こればかりはタイミングなんでね。能楽の公演は常に一期一会なんですよ。)

今回はお能が豪華三本立ての長丁場ということで、今までは狂言と能一本ずつとか、狂言のみの公演しか観てこなかったので、少々不安はあったものの(謡を聴いてると気持ち良くなって夢現な状態になっちゃうので💦苦笑)、今回は間狂言で太一郎さんと裕基くんも出るし見届けたいなァと思って観劇を決めたのですが、実際に観てみたら、この日の演目は私好みで当たりだったので、ちょっと嬉しくなってしまいました。

お能は狂言と違って、取り扱う題材も大きく、謡がメインなので理解しにくい部分がありますが、それでもお能ならではの優雅な装束と舞には心奪われるものがあります。特に今回は動きのある演目ばかりだったので、「そうそう、こういうお能が観たかったのよ!」っていうキモチになりました。

お能は1回観たら、今度は10回観てくださいって能楽師の誰かが言ってたけど、演目で左右されることもあるだろうし、本当に繰り返し観ることで新たな発見がありました。今回は思い切って来て良かったと思いました。お能の楽しみ方が分かってきた気がするので、次回の能楽鑑賞も楽しみになりました。

▼前回の能楽鑑賞日記はコチラ

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