山本東次郎家のお狂言を観てきました②【能楽観賞日記】#70

普及公演「こども狂言堂」
横浜能楽堂
2023年7月30日(日) 14:00開演

「こども狂言堂」とありますが、オトナのみもOKなので、2階席から山本家の狂言を鑑賞してきました(山本家も好きなのだ)。この日は、狂言を初めて観る親子がたくさん来場されてました。

狂言に興味ある親子がこんなにたくさんいることに嬉しくなったし、未来も明るいね☺️
何より、こういう場に連れてきてくれる親御さんや祖父母が居るって素敵だし、自分の親と比べて羨ましいと思いました。

横浜能楽堂の2階席、初めてでしたが視界良好。最前列でも手すりが被ることなく、橋掛りと本舞台が視界に収まる距離感で、とても見易かったです。下手したら1階正面後方よりも2階の方が見易いと思う。

2階のロビーにもトイレ、ロッカー、座る場所が完備されてて良きでした。さらに能楽の装束や楽器の展示もあって、こういったものは、なかなか間近で見れないので、2階席じゃなくても2階を覗く価値はあると思う。

個人的には、なかなか至近距離では見れない楽器の展示が興味深かったです。


狂言「柿山伏」

山伏:山本則秀
柿主:山本則孝

【あらすじ】修行の帰り、喉が渇いた山伏(シテ)が、柿の木に登って勝手に実を食べていたところへ、畑の主(アド)が見回りにやってくる。山伏は慌てて木の陰に隠れるが、柿主からはバレており、少しからかってやろうと「人ではなく、あれはカラスだ」「いや、サルだ」と動物に例えて呼びかけるので、山伏もその鳴き真似をし必死に誤魔化そうとするが…。

*・*・*

教科書にも載るような有名な狂言ですが、実は生で観たのは初めて。後半部分を知らなかったので、そんなオチだったのかと(柿主の圧勝w)。ちなみに和泉流と大蔵流では終わり方が微妙に違いますが、大蔵流の方が個人的には好きかもw

初めて山本家の狂言を観た時は、硬派な芸風に驚きましたが、何度か観ているうちに、山本家の型は、狂言の笑いとしては、とても分かりやすく、チャーミングさがあることに気付きました。

故に言葉は難しくても、明確なボディランゲージのお陰で子供たちにウケており、この柿山伏もシテとアドの掛け合いがとても面白く、楽しませてもらいました。


狂言「清水」

太郎冠者:山本則重
   主:山本凜太郎

【あらすじ】主人(アド)から、茶の湯で使う水を野中の清水へ汲みに行くように命じられた太郎冠者(シテ)は、行きたくないので、清水に鬼が出たと言って戻ってくる。不審に思った主人は、太郎冠者が置いてきてしまった秘蔵の手桶が惜しいと、自ら清水へ行くと言い出したので、慌てた太郎冠者は先回りし、自ら鬼に扮して主人を脅す。すっかり怯えてる主人に対し、日頃から不満があった太郎冠者は更に調子に乗り、命を取らない代わりに召使いの待遇を今より良くするよう脅すのだが…。

*・*・*

和泉流では何度か観た演目。大筋は同じですが、主が桶を現地で探すシーンがあったりと、場面描写的には、こちらの方が具体的だったかも。ただ主の怯えっぷりは和泉流の方が可愛かったです(笑)

主が、太郎冠者の声=鬼の声だと気付いて、太郎冠者に鬼が言ったことをもう一度、言ってみろというシーン。2度目は力無く小声で誤魔化したと思ったら、3度目はまさかの超早口で、言い方が現代コントのノリに近くて笑ってしまいました😂

あと主が鬼に遭遇した時、主が驚いてズッコケるんだけど、それが妙にリアルだった😂

美しくがモットーの万作家ではズッコケる型は(多分)無いと思うので、こういう面白さは他家ならではかなと思います。


お話:山本東次郎

狂言を実演した後に解説するのが、山本家のスタイル。
実は本日の一番のお目当ては、東次郎先生のお話でした。東次郎先生のお話を聞いてると、狂言への理解が深まるので好きなのです。

どうして狂言の言葉は、ゆっくりなのか。
それは、昔の人は言霊を信じており、言葉をしっかり伝えることに集中したから。
あと様式に従い、役者個人の感情を乗せないのも、役者(キャラクター)の物語にしないため。これが現代劇と狂言の違い。

人間の滑稽さを美しく描くのが狂言なので、登場人物=もしかしたら自分のことかも?と思わせることで、傲慢になることを防ぐことが出来ると。つまり狂言を観るということは、世界平和に繋がることなのだと仰ってました。深い😌

柿山伏の動物のモノマネも、様々な動物のモノマネをさせることで、人間の滑稽さを表しており、政治家が「記憶にございません」と言ってるのと同じで、自分に非があるのを分かってるからこそ、それでやり過ごせるのならやり過ごしたいという気持ちの表れなんだと。

落っこちた後も、素直に謝れば良いのに謝らないでしょ。
だから二度も痛い目にあったでしょ、と😂
(ちなみに二度も痛い目にあうのは大蔵流のみw)

解説によると、この山伏は貴重な柿を我慢できず盗み食いしちゃうくらいなので、そんなに優秀ではなく、柿主の方が優秀で一枚上手なんですね。法術も実は効力がなく、柿主がワザと山伏の法術ごっこに乗ってあげてるのだと。

あと暴力シーンもリアルに描かないのは、狂言は美しくなくてはいけないため。簡易的な型にすることで、観客の想像力に委ねてるのだと。

刺激というのは、何度も見てるうちに慣れてしまうものなので、画的なカッコ良さというのは狂言には必要無いんですね。

事件を描かないのも狂言の特徴だと言ってましたね。事件を描くと、観客は野次馬感情=他人事で観てしまうので。

*・*・*

解説が終わった後は、東次郎先生が恒例の小舞を披露。
今回は「名取川」でした。

和やかな雰囲気でトークしてたのに、小舞に入るとピシッとした雰囲気になるのは流石。

名取川は、この横浜能楽堂で初めて野村萬斎さんの狂言を観た時の演目なので、思い入れがあります。

*・*・*

ンで、ホントは小舞の前に質問コーナーを設けるはずだったのに、忘れちゃったので(笑)小舞の後に質問コーナーへ。

東次郎先生が子供たちの質問に答えていくのですが…

Q「舞を舞ってる時は、どんな事を考えてるんですか?」

A「考えてません!」

🤣🤣🤣

…というのも、先程の解説にあったように役者の感情は不要だから。だから舞ってる時は、どれくらいのスピードで、とか、どんな強弱で、とか様式について考えてるそうです。

ちなみに先生の初舞台は5歳のときで、芸歴81年だそうで、昔から舞台に立つ時は自分を出しちゃいけないと教え込まれたので、今でも、そのようになってしまうのだとか。

これに似たことは萬斎さんも言ってた気がするな。
事務所の社長に地声のままで良いのよ(素敵だからね☺️)って言われたけど、舞台に立つ時は、自分を出しちゃいけないと言われてきたから、舞台に立ってる時の声は、自然と普段と違う声になってしまうのだと。

Q「舞の時、扇で何をすくってたの?」

名取川では、物覚えの悪いお坊さんが、貰った名前を忘れないように、着物の袖に名前を書いて貰うんだけど、川を渡る途中で溺れて着物に書いてあった名前が消えちゃうんだよね。

だけど、そのお坊さんは川に名前が流れてしまったと考え、一生懸命、その名前をすくおうとする。

あらすじだけ聞いてると、なんでやねん!ってツッコみたくなる話だけど、東次郎先生の解釈では、現代風に言うと、貰ったサインが無くなってしまった→勿体ない!😫

…だそうで、失ってしまったものは、どうしようもないのに、一生懸命すくおうする姿は、過ぎ去った時間に囚われてる事を表してるのだと。

パッと見、不思議な話だなと思う狂言も、こうして深堀りしていくと、凄い腑に落ちるし、改めて人間の滑稽さに気付かされて、深いなァと。

こういったお話を聴けて、今回は子供向けの公演だったけど、東次郎先生のペースは何も変わってなかったので、観に来てよかったなと思いました。

オマケ。2階に貼ってあったので…

▼前回の能楽鑑賞日記はコチラ

▼前回の山本家の狂言鑑賞日記はコチラ

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